harada5011の日記

僕と僕の一族と僕の地域がアメリカから受けた嫌がらせについての記録。多分、ずっとウェブスペースに残ると思います。

アメリカから受けた嫌がらせについて

アメリカから受けた嫌がらせについて
原田宏樹

目次
1 聞こえてくる音、AIに関する考察
2 幼少時代
3 小学生時代
4 中学校時代
5 高校時代
6 大学時代
7 持ち込み時代
8 東京在住時代
9 名古屋在住時代
10 帰省
11 山口県での生活
12 明らかになる過去


1 聞こえてくる音、AIに関する考察


 最初に記述しておく。この文章を読んで僕の頭がおかしいと思われる人も当然いるかもしれない。あまりにも現実離れした内容であるし、にわかには信じられないことを書いているという自覚が僕にはある。当然、普通の人であれば、拒否感を催して読むのを辞めてしまうということがほとんどであろう。しかし、この記述の内容が、僕の主観からすれば正しいとしか、僕には言いようがない。
 念のため最初に記述しておくが、僕は2019年の一月に、自身の脳のCTスキャンを病院で撮影していて、その診断写真を見た医師の所見は〝一切の異常が見受けられない〟というものであった。この点から、僕が脳に異常がないということを前提として文章を読んで頂けると幸いだ。

 にわかには信じられないことではあるが、いま現在、僕の間接部分から軽い音が鳴る。これは間接の摩擦によって起こる音では無く、恐らく、AIが起こしている音であるというのが僕の想定である。
 また、2019年初頭あたりから、周囲にある壁や物から、謎の音が聞こえている状態である。僕はこれらの音に関しては、AIが起こしている音かもしれないと思っている。あまりにも大きすぎる家なりの音が、現在の僕の住居から鳴っているのだ。それも、何か意思を持っているようなタイミングで。また、テレビ、ディスプレイ、マウス、果ては、電源の繋がっていないプレイステーション4からもそのような音が発生している。普通に考えれば絶対にあり得ないことが分かって頂けると思う。
 もし、仮にこれがただの偶然鳴っている音なのだとすれば、僕の家や、僕の所持していた製品は全て〝妙な音が鳴る欠陥品〟ということになる。そんなことは確率論的にあり得ないわけだが。

 この妙な音が発生する仕組みについてはある程度、想像はつく。音が発生する主立った可能性の候補を挙げてみようと思う。
1 神霊の類い。ラップ音などのオカルト現象
2 未知の異星人による交信
3 ナノマシン等、微少機械による特定人物の操作

 まず、最初に神霊の類い。ラップ音などのオカルト現象である可能性について想像を巡らせてみたい。この僕の周囲から発生している音はどうも意思を持っている。それも僕に有利に働くように動いている可能性が高い。ただ、どうもそう考えると辻褄が合わない部分もある。
 というのも、この音を起こしている者達は僕に〝確定申告の指導〟をしてきたのである。どういう仕組みになっていたのかということ、こういった形である。
 ディスプレイから、あるいは隣の壁から、僕の仕事部屋の左にあるドアから、後ろの窓から、それらの方向から音を鳴らすことによって、コミュニケーションを取ってきたのだ。また僕のいる部屋の天井を叩いて、物事の正誤や、注意することを示唆してきたこともある。それで、その音が大きな音を鳴らして注意したりだとか、小さな音で〝はい〟などと示唆することを受けて、僕は平成三〇年度の確定申告書類を弥生というソフトウェアを使って作っていった。その間、僕は確定申告絡みの指導書を買ってはいない。また、ウェブサイトで確定申告の仕方を確認したりはほとんどしていない。なのに、前年度の確定申告の内容はこれまでのものとはまるで違っている事が分かるだろう。弥生のデータを見れば、一発でそれがわかる。何せ、今年は銀行の番号まで記入したのだから。
 そのような事を神霊が教えるかと言えば、実に疑わしい所である。神霊の類いが確定申告のやり方を教えてくれた、などと言うことはちょっとおかしな考えだと僕は思う。また、ラップ音などのオカルト現象である可能性について考えてみても、首を傾げてしまう部分がある。
 本来ラップ音とは唐突にガラスが割れたり、異音がすることを言うものであり、何か人間を導く性質というのは持っていないはずである。であるので、僕はこれらの可能性を除外して考えている。

 では、未知の異星人による交信についてはどうだろうか。これに関しては僕としてはありえなくもない、とは思っている。高度な文明を持つ異星体が、気に入った地球人を導いたりするなどと言ったことは、わりと娯楽で散見される普遍的なテーマではある。また、高度な文明を持っていることから、〝どんな場所に関わらず音を出す〟程度の科学技術力は持っていてもおかしくはない。
 ただ、そうなってくるとまた疑問が沸いてくる。〝何故、直接話しかけてこないのか〟ということである。地球の人間が作ったレーダーなどに反応せずに地球に接近し、僕と接触する、または特殊な電磁波等の技術を使い僕に接触しているのだとしても、どのような場合でも話しかけてこないのはおかしいと僕は思う。
 というのも、もしそのような異星人が仮にいたとしよう。そしてその異星人がそのような事が出来る科学技術を持っている知能レベルであるとしよう。そうなると、当然その異星人は地球人の言語を知覚し、学習することは容易なのではないかと僕は考える。そして、言語がわかるならば間違いなく言語での交流を取るのが普通であるし、文字媒体による交流を図る、などの手段も考えられる。だが、それらの方法では無い。音だ。音による交流を彼らはしてきているように思えるのだ。

 そして、三番目の〝ナノマシン等、微少機械による特定人物の操作〟である。結論として言えば、僕はこの可能性が一番高いと思っている。
 まず、僕の周囲で発生している音についてであるが、この中に〝体内で発生している音〟というものがある。これが、実は発生し始めたタイミングが特徴的であった。
 僕は2019年1月20日、小郡の検診センターで人間ドックを受診している。ちょうどその人間ドックを受けた後辺りで、体内からの音が聞こえ始めたのだ。僕はこの人間ドックを受けたタイミングでバリュウム等から、何か微少のナノマシンが僕の体内に侵入したのでは無いかと疑っているのだ。
 当然のことながら、僕もこの論には半信半疑である。そんなことが果たして今の地球の科学水準で出来るのか、そして、もし出来ていた場合、ナノマシンへの動力の供給はどうなる?メンテナンスは?故障はしないのか?色々問題を考えはした。
 ただ実のところ、医療用のナノマシン臨床試験段階にあるというニュースが駆け巡る昨今、この程度の事象を起こす程度であれば実現可能なのではないか、と僕は考えたのだ。
 つまり、この体内から音を出している微少な機械がやっていることというのが〝音を出す〟だけである、という仮説である。
 この仮説というのが、現代の科学水準で、それも最先端の技術を有している、国家、ないしは企業が、理由はわからないが僕の体内や家屋にナノマシンを大量に送り出した。そしてそれをAIなどの高知能の集積知能が、ビッグデータを活用しながら僕を音で導いていく。
 そう考えると、色々辻褄は合う。電子機器から音が鳴ることが多いのは元々AIなので、親和性が高い。確定申告作業などは彼らAIからすると明らかに得意な仕事であろう。
 だけど、そう考えるとそれはそれで疑問が残る。〝何故、そんなことをするのか?〟ということである。というのも、何か言いたいことがあれば直接僕と接触して言えば良いわけだ。直接メールを送っても良い。だけど、そういう直接的な手段ではまるで交流を図ってこないのである。
 だから僕は恐らくこれは極秘裏に何か進めている。と考えている。何か公表しては不味いことがあるとか、そういった前提が無ければ、このような事には本来ならないはずである。
 音を出して、〝はい〟だの〝注意しろ〟だの、そういったことを伝えるなどという遠回しなやり方をする必要など、本来は無いのだ。
 そこで、僕はまず、この状況に付いて考えてみたのであるが、現代の科学水準のレベルから言って、これを行っているのはアメリカ合衆国(以下、アメリカ)のAIであると考えた。そして、当然日本国にいる僕にこのようなことが出来るのであるから、当然日本のAI等も絡んでいると考えるのが自然だ。
 日米共同でAIが動き、僕の体内や僕の家の壁の中を駆け巡りながら音を出し、僕の動きを誘導していく。ただ、やはりここで疑問なのが、〝何故そんなことをするのか〟という点である。
仮に、もしそういう風に考えないのであれば、家鳴りはただ偶然鳴っているだけだろうし、電源も入っていない電化製品から音がすることもあるのだろう。僕の体内から鳴っている音は僕の体にがたが来ていて、間接の摩擦などから音が発生しているのだろう。
 だが、そんなことは確率論的にあり得ない。もし、あり得るとすれば天文学的な確率である。そして、もしそれが発生していた場合は困ることがある。それはこの今の実家がとんでもない欠陥住宅であるという証明になってしまう、ということである。
 何せ、壁や天井などはときどきとんでもない炸裂音をさせていた。また風呂桶などからも怒号のような音が2発鳴ったりしていたのである。ここまでの音がする住居というのは、億単位の賠償金が取れてしまうのでは無いかと思う。というのも、僕の両親の健康状態は現在すこぶる悪い。父は複数回にわたる心筋梗塞からステントを何本も入れており、毎日大量に薬を服用している。母も同じく、ステージ4の乳癌を体験しており、毎日大量に薬を服用している。これは欠陥住宅の家鳴りがもたらす強烈な家鳴りの音、ということであれば、それはそれで大問題になる可能性がある。強烈な家鳴りの音がもたらした健康被害により両親が重病になってしまった、という話にも発展してしまうからだ。

 なんにしても、〝何故そんなことをするのか〟という話は脇に置いておくとしよう。初期の段階でこの件に関する記述をしすぎると〝信用できない書き手〟という印象を読み手に与えてしまうのではないかと僕は考えている。
 いま、僕の周りで音がしていることに変わりは無いし、その音がすることで僕が色々察することが出来たというのも本当の事である(この音の発する所の意図や意味が最初わからずに、困惑から意味不明なことをしてしまったこともあるのだが)。その音の正体がなんであれ、である。そして実は、この音云々の話は、この文章を読んでいる諸君には今のところはあまり関係のない事柄である。なぜなら、今から僕が記述していく文章は僕の過去に関する話である。僕は2019年初頭に地元、山口県に帰省することで過去に起きたことを色々思い出してしまったのだ。僕の記述していることが間違っていると思うのであれば、是非とも調べて頂きたい。恐らく大部分は正しいことを記述しているのではないか。
 そして、その過去に起こったことについて、色々と思索を巡らせる内に、とある可能性に行き着いてしまった、というのがこの文章の主題である。
 僕がこの文章で言いたいことは明確だ。
〝僕は、そして僕の両親は、そして僕の一族は、そしてこの実家の存在する山口県山口市江崎嘉川の辺りの住民は70年近くにも渡りアメリカから嫌がらせを受けていた〟と、言うことである。
 何を言っているんだろう、とこれを読んでいる人は思うかもしれないが、僕はそれを当然だと思うだけの事例を腐るほど体験している。今から僕は僕の人生を客観的に記述する。そして最後に、何故そう考えてしまったのか、説明していこうと思う。

 

 


2 幼少時代

 

 まずは僕の自己紹介からこの文章を始めようと思う。
 僕の名前は原田宏樹。1983年11月8日生まれ。蠍座のA型。
 僕の父の一族は元々は広島の原子爆弾が落ちた原爆ドームの近くの武家屋敷に住んでいたそうだ。元々は浅野家の勘定奉行を担当していたらしい。また、父方の氏族は一貫して武家系統であり、色々と曰くのある人物が一族には多い。父曰く、関西汽船の取締役をやっていた人や、名古屋大学の医学部の教授をやっていたりだとか、また京都で表具屋をしながら絵を描いていた人も一族にはいたそうである。これについては僕はいまいちはっきりとはわからない。というのも、父の一族に関しては、広島にいたり、京都にいたり、萩にいたり、山口にいたり、大阪にいたり、いまいち住居が判然としないのだ。
 母の一族に関しては、どうも萩藩士の内藤家の血筋のようである。山口市土着の一族であるようだ。今、僕が住んでいる住所がそうである。僕の母方の曾祖父はフィリピンで日本の部隊を率いて戦ったそうだが、撃たれて死亡。それから僕の曾祖母はかなり苦労しながら僕の祖父を育てたようである。
 祖父は戦後を困窮の中で生きたようなのだが結局高校を途中で辞めている。戦争で家族を失った者に対する恩赦が一時打ち切られるようなことがあり、支払う学費が足りず、高校に行けなかったらしい。
 また、母方の祖母は元は青木という一族の出自である。その家は阿知須辺りの地主の家系だそうだ。この青木家の面々はその昔、山口県下でも屈指の入学難易度を誇っていた、宇部工業に夫婦共に入学したという優秀な頭脳を持つ家系であり、阿知須あたりでも大地主であったそうだ。ただ、少し奇妙なところがあったと思う。森永ヒ素粉乳中毒事件。僕の大叔父さんの妹さんが母方の祖母に当たるのだが、ただ、その大叔父さんの娘さんが子供の頃、ヒ素中毒になり、脳性麻痺か何かになって、障害を負ってしまっていた。
 結局、この家は養子を取って遺産相続などでちょっと揉めた上に、母にはほとんどお金を寄越さなかったという話を2019年初頭に聞いた。
 ちなみに僕の父と母は山口県の小学校の教諭であった。

 僕の幼少の頃の夢はパイロット。これについては何故そう思ったか定かではない。祖父に肩車されながらそう言った記憶がある。僕は幼少の時の記憶が結構あって、四つん這いで這いまわりながら母方の曾祖母や祖母の元に駆け寄ったりしたことを憶えている。おねしょの回数が何故か多く、そのおねしょの布団を干した写真が2019年四月現在、1階の居間に残っている。また、少し早熟な子供だったようで、あまり泣かない、手のかからない子供だったそうだ。
 また、4~5歳の時、母方の祖母に「人は死んだら無になるの?死ぬのが怖い」と言った記憶がはっきりとある。その際の祖母の何故だか歪んだ顔も今もまだ覚えている。保育園のそばにお寺があって、お経を読むのだが、案外暗唱出来ていたような気がする。また、何故だか保育園に通っていた際、途方も無い恐怖感に襲われる時があり、よく保育園を脱走して、祖父母の家に帰っていた。
 何故、当時、なにをそんなに恐れていたのか定かではないが、例えば近隣の保育園で突然泣き崩れて小便を漏らす同級生の少女がいたり、家庭環境に問題のある子供が多かった気がする。
 また、僕にその記憶は無いが、父方の祖母にお菓子を餌に誘拐されたことがあるらしい。父の家と母の家はあまり仲が良く無かった記憶がある。僕は幼少期に、確か祖父母の家に預けられる形で保育園に通っており、当時の上渡りの家と下高根の家、どちらが自分の家なのかいまいち認識できていない節がある。
 保育園の頃には色々あったが、特に記憶に残っているのが、かけっこだ。僕は走るのが結構早かったのだが、突然、知りもしない保育園の年少の男の子に「足早いんだって?僕と競争しようよ」と言われ、競争するはめになって、僅差で負けた。それ以来、どうも運動するのが嫌いになったような気がする。
 また、僕が保育園に通っていた時は、基本的に夕方まで保育園に預けられていたと思う。そのさいに両親が車で迎えに来るそうだが、母が駐車場で止めていた車が何者かの車に接触事故を起こされてしまったことがあるらしい。これは恐らく、記録に残っているはずである。この際は保育園の先生が現場を目撃していた為、母が車の修理費用を払う必要は無かったそうである。

 僕の初めての自慰行為は6歳付近。祖父母の家で床に陰茎を押しつけて擦り付けることを覚えた。そのおかげで僕は包茎となり、それが長い間の心的外傷になっている。
 恐らく何か過度の不安に見舞われたのでこのような早い時期の自慰行為に繋がったのだろう。今となっては何故そんなことになったのか理由はわかっている。
 その理由とは騒音である。僕の目の家の前に存在する国道二号線小郡道路から鉄砲を撃つような炸裂音がしていたのだ。それも僕が保育園に通っていた当時から今に至るまでである。これは主にその国道二号線を走るトラックが出していた音らしい。小石がアスファルトの隙間に挟まり、それをトラックの車輪が踏みつけると大きな音が出てしまったり、また、トラックを動かしているディーゼルエンジンの機構上の問題から炸裂音がすることだってあるそうだ。この国道二号線は、僕の家のすぐ目の前にある。また、僕の家の裏手には山陽本線が通っている。つまるところは僕の生まれた土地は大騒音地帯なのである。当然、ストレスが多く溜まる環境なのだろう。そして、僕の幼少期、両親が共働きで不在がちであり、祖父母の家に預けられていたという点も大きい。人間はストレスが多い環境で生活すると生存本能が刺激されてしまい、性欲が強くなってしまうのだ。 

3 小学生時代
 


 保育園を卒園後、近所の小学校に進学。
 当時住んでいた家は上渡りにあって、大きなピアノがあったり、pc98等、初期のPCがあったと思う。これは余談だが、父の話だと、当時この辺りの地区の教育現場にマッキントッシュのPCを導入したことがあったそうだ。だけど、マッキントッシュPCの爆発が頻発した結果、結局の所、導入されたのはウィンドウズPCとなったらしい。
 この上渡りの家で子供の頃、父と兄と僕で三国志をPCでやったのを憶えている。で、父に説教された。動かし方がなっていない、と。僕はどうもこういう風に叱られることが多かった。例えば将棋についても兄から考えるのが遅いとか言われていた。しかし、今にして思うと3歳差で兄と同じくらいの強さだったのだから、健闘していた方なのではないか。どうも、この辺りが家に対する恐怖感の源であるようには感じられるが、他の要素もあったのかもしれない。
 小学校当時はやけに家への電話が多かったと思う。それに、父がとても怒りやすかった。特に兄はいつも怒られていたような。歩く動作が普通に出来なくて怒られて泣いていたのも憶えている。ただ、この件に関して今僕が思っているのは父が怒号を放つほど抱えていた苛立ちというものに父の仕事が関係していたのかもしれない、と言うこと。父は家に電話がかかってくるだけで神経質に怒っていたし、家に僕の友人達を呼ぶだけでうるさいと不機嫌になった。
 この上渡の家に空き巣が入り金を盗まれた、という事件が昔あったが、そのあたりが父が苛立ちを募らせていた原因なのかもしれない。
 父はストレスがたまっていたのか、この辺りでかなりタバコを吸っている。一日に二箱。そして、僕はよく鼻炎を起こして正常に呼吸が出来なくなっていた。タバコが原因のホコリなどが大量発生し、夜も眠れてなかったと思うが、これについては証拠があまりない。当時の医療記録は残っているとは思うが。

 小学校の頃はよく家族で旅行に行った。南は鹿児島から、東は奈良辺りまで。大抵、いつも旅行はつまらなかった。何故か、というと、父は車を運転してよくあおり運転を受けていた。他県のナンバーによく遭遇して、危険運転のようなことをする車によく遭遇していた気がする。そのせいで、道がわからなくなって、怒鳴り散らす、という展開も結構あったと思う。余談ではあるが、あおり運転自体は2018年辺りも受けていたらしく、北九州で逮捕が報道された男に出会ったかもしれない、などと真顔で言っていた。
 小学校の頃、確か成績は上の方。ただ、父が100点以外を見せると不機嫌になるので、80点以下のテスト用紙を机の中に隠していたと思う。で、低学年の時には僕は習字がちょっと上手かった。『水』とか『氷』って字が上手かったりした。見本を見ながら書いたら上手く書けたのを誰かに「真似てるだけ」と言われたような記憶がある。ただ、この記憶については定かでは無い。

 交友関係について語れば、僕が小学校時代に仲が良かったのは中村である。この子は北海道出身のデザイナーを父に持ち、母親は小郡辺りの不動産系列の家系という子供であった。
 この子とは家族ぐるみで仲が良く、学校帰りの夕方に寄り夕食の時間まで一緒に遊んだり、日曜などは朝から遊びに行っていた。中村の家の生活リズムは荒れており、朝方八時に家に遊びに行くと、中村と一緒に戦隊モノを見るのが常であった。その時、その中村の両親はトーストと卵焼きを用意して食べるのが常であったが遅れて食べないこともしばしばだった。また父親は生活リズムが不規則であまり見たことはないが、迷路などの簡単な絵を描いて貰って、遊んで貰ったのをよく覚えている。
 今にして思うと、訪問した時間帯が迷惑だったのかな、と思わなくもないが、のちに高校時代、小郡に引っ越した中村のお母さんと会ったときの話からすると、そうでもなかったようである。むしろ、「また遊びに来てくれないですか。息子の部屋が不良の溜まり場になって困っているの」、と言われた為、好意的に思われていた可能性が高い。

 もう一人小学生当時の友人を紹介するとするならば、幼稚園年長あたりから小学校低学年あたりの時に、東京から僕のクラスに転校してきた生徒がいた。原田、という母方の祖父と同じ姓を持つ人物だった。
 この生徒は明らかに問題児で、僕は飼っている犬を橋の上から橋の下の川まで放り投げられたり、またゲームソフトを無理やり貸し出されたりもした。
 ただ、この原田自体はどうも都会慣れした悪ガキ、というところもあり憎めない所もあった。それに、ファイナルファンタジー女神転生など、東京にあるゲーム会社のソフトを色々教えてくれた。そして、当時、彼の家庭環境が荒れているのを目撃している為、僕はいまいち彼に対して怒る気にはなれなかった。

 ここからが小学生時代の核心部分になるかもしれない。僕が小学校5~6年の時。担当の先生が確か江頭、という先生だった。父から後程聞いたところによると、この江頭という先生はどうも共産党の人だったらしい。ギターを学校に持ってきて、授業中に弾いたり、金印の本物を持ってきた等の嘘を付きはじめ、僕が騙されたりした。確か、この人に通信簿に生活面で『歩き方が偉そう』と書かれたりした。
 それからこの先生は〝パーフェクト〟、という英単語と〝完璧〟、という日本語を組み合わせて〝パーペキ〟などという、よくわからない造語を作った。そして「僕が好きだから、みんなこの造語を使っていこう」などと、よくわからないことを言っていた。
 確かこの共産党の教師の人に2人、娘さんがいて、記憶が定かではないがどちらの娘も脳腫瘍などの大きな病気にかかっていた。それで江頭先生は学校を休みがちになり、授業の進行も大幅に遅れていった。代理の先生が来た時期もあったけど、結局誰も先生がいないという時期が半年続いたりしていて、その間の授業が自習だった。その時、田中という同級生が「大丈夫なのかな、俺たち、全然勉強してないけど」と不安がっていたのをよく憶えている。
 この江頭という先生が機嫌が悪くなると授業放棄する人で、田中がよく泣きながら「お願いだから授業をしてください」と言っていたのも憶えている。中学校に上がったあたりで、利重や田中という友人と一緒に、「あの小学校5年、6年がやばかったよな。俺たちみんな落ちこぼれになった」と話したのも憶えている。

 この辺で、重要な事について書いておく。僕が小学校高学年から中学校1年の間あたりだったと思う。李、という中国人の一家が当時大歳小学校で勤務していた母の所にやってきた。確か貧しく、家計も苦しいとのことだったので、うちの家に招いたり、一緒に遊んだりしていた。その家の子供と、僕と兄とで一緒にキングオブファイターズ95をやって遊んで、兄が漢字で筆談したりしていたと思う。俺を指さして馬鹿、と紙に書いたり。
 2019年3月付近に父にこの中国人の家族について聞いてみた所、この中国人の家庭の父親は中国共産党工作員の可能性がある、とのことだった。理由としては貧困家庭という形で日本に来たわりに、下関の大学や新潟の大学に行こうとしていた等の理由であったと思う。僕としてはいまいちよくわからない話ではあるが。

 そして、もう一つ重要な事を。父はどうも僕が小学生の辺りから中学にかけて教師を休職し、社会党員をやっていたと思う。38℃線に土井たか子と共に行ったこともあるようだ。こういう風に曖昧になってしまう理由というのは、父にこの辺の所を聞いても、どうも誤魔化されてしまうというか、情報が定かでは無くなってしまうからだ。社会党員では無かった、とまで言ったことがある。父の雰囲気を察するに、この辺りの事を語るのが、怖い、後ろめたい、とか、そのように思っているようなのだ。また社会党時代に父の親友が若くして癌で死んだそうだ。当時家族で行った旅行先で父が泣いていたのを見たことがある。
 それについては僕も理由がわかる。当時はアメリカが日本の社会党のことをコミュニストの政党が日本の主権を握った、という報道をしていたのだ。その辺りの事情が絡んでいるのではないかと僕は推測している。
 ちなみに僕が25歳くらいの時に、兄と共にその件について問い詰めると「土井さんは可哀想な人なんだよ」とはっきりと擁護していた。「朝鮮人の血が流れる自身の事を肯定できないというのは可哀そうだ」と、父ははっきりと言っていた。

 僕の小学校時代の最後の方だったと思う。父が、上渡に建築した家を売り払い、下高根に家を建て引っ越しをするといい始めた。上渡に建てた家に空き巣が入ったから父が嫌気が差したのか、それとも社会党時代の記憶を消したかったのか、それとも単に大きな家に住みたかったのか、それはわからない。下高根に新築した家は同じく積水ハウスによって建てられた家だった。営業の山根という人と一緒に下高根の家を建てたらしい。とても大きくてとても高額な家で、当時の価格として五千万円程度の金額がしたそうだ。
 この家の新築から引っ越しの辺りで僕の名字が山本から原田になった。下高根にあった母方の祖父母の家を打ち壊しその上に家を建て暮らすから苗字が変わる、という名目だった。祖父と同居するので、原田の家に父が婿入りという形になる、という話だったと思う。
 僕が2019年2月付近に「名字を変えて、社会党時代の過去を消したかったんでしょう?」と父に聞くと、父は押し黙ってしまったが。そういった意味ももしかしたらあったのかもしれない。
 
 また、ちょうどその辺り、僕の祖父は鬱病になったらしい。何年の話かは定かでは無いが、だいたい祖父が50歳くらいの時だそうだ。
 祖父は農林水産省出先機関の公務員としてこの辺を見回りながら稲の検査等していたそうなのだが、その年のあたり山口県の、つまり中央の方に出向になったらしい。
 そこで一緒になったのが所謂高学歴の公務員、という奴で、結局、学が無かったか能力が無かった祖父は窓際の部署に追いやられたということのようだ。それで、どうも学歴に対してのコンプレックスから鬱になったのか、結果として祖父はしばらく寝たきりになり仕事にいかなくなってしまったらしい。

4 中学校時代

 

 新築が出来、暮らし始めたのが中学時代の初めくらいだったと思う。新しい家は、僕と兄に個室が出来たということで僕は喜んでいたけど、兄はそうでもなかった。「あの百年続いた和式の家を潰すなんて」というようなことをよく言っていた。
 この家は新築なのにゴキブリが大量に出た。それにつられてアシダカクモという不気味な巨大クモも大発生した。この二匹は動きがとても早く今でも苦手だ。特にゴキブリの方が苦手で、高校時代、朝起きると瞼の上にゴキブリが乗っていたとか、そういった事が原因だと思う。
 しかし、父が建てた家は施工時にゴキブリ対策の溶剤をしっかりと撒いていたらしい。2019年3月にそう言っていた。なのに何故、僕の家は建築してから2~3年でゴキブリまみれになったのか。もしかして積水ハウスが適当な仕事をしたのかもしれないと、今では思う。
 今にして思うと、そもそも、何故あんなにゴキブリ屋敷になっていたのか、理由がわからない。1階のほとんどの部分で見かけるという悲惨な有様だった。特に台所がもう本当に酷くて、夜行くと、ごく普通に10匹はいる状態だった。あれに関しては絶対におかしいと思う。家にいるのが本当に嫌になった。
 また、家の引き戸なども様子がおかしかった。隙間が大きくよく音が漏れる。部屋のドアノブ方向にストレスを感じさせるような作為を感じる(証拠写真あり)。ドアがすぐに下部を引きずるようになり相当大きな音をすぐに出すようになった。電車、バイパス上の車の騒音等、騒音対策がまるで為されていない。などなど、今にして思うとこの新築の家は欠陥住宅に限りなく近いと、僕としては思ってしまうのだ。壁の薄さ等の物証はもう作ってある。
 さて、そんなこんなで強烈なストレスを感じてしまったのか、伊藤、という新しい友人の家で遊ぶようになった。この家は実は僕の母方の親戚の家系である。この友人は阿知須の方にいる奴で吉村とか福田とか岡村。その辺りの友人と楽しく遊んでいた。ただ、あまりにも家が嫌で伊藤の家に通い過ぎたのは本当に悪かったな、と今では思う。
 また、これも不思議なことなんだけど、中学2年辺りで伊藤の名字が重本に変わった。あれは、なんだったんだろう。この男は非常に優秀な男で、将来的にアメリカで働くことになったようだが。
 また、中学時代は今津川の先の伊藤、とも遊んでいた。この家にも結構通ったが、梶田という子と先に挙げた岡村もいたと思う。梶田は重本の姉から影響を受けたのか宮崎駿が好きで、風の谷のナウシカの全編台詞の暗唱などをしていた。僕は結構こいつは面白いから好きだった気がする。
 それから、小学校高学年辺りから格闘ゲームにハマった。丸喜や深溝の駄菓子屋にキングオブファイターズという格闘ゲームシリーズが置かれるようになり、通うようになった。その辺りから体格が大きい不良グループのような人達と接触するようになる。
 深溝のゲームセンターで飯田、という格ゲーが本当に強い男がいて、この男はボクシングをやっていた。家にも行ったことがあるが、道路脇のプレハブ小屋にあり、母が借金で逃げ回っている、とのことだった。ただ、僕はこの飯田という男の性格や顔立ちが好きでよくゲームセンターで対戦して貰っていた。中学時代は全然勝てなかった。ゲームセンターでは矢儀や村田、河村等々、小学時代の友人と、飯田、この辺りで遊んでいた気がする。
 
 交遊録に関してはこの辺りで置いておく。勉強の方は確か最初はちょっと低かったと思う。上から16番とかその辺り。ただ、一夜漬けで適当にテスト前に勉強したら大体上の方で安定するようになった。学年2位とかも普通にあったと思う。基本的に学年13~2番の間だったような気がする。
 部活動はソフトテニス部を選択した。兄がソフトテニス部だったので、ちょうどいいやと思ったのだ。ちょうど兄のお古のテニスラケットを使うことも出来るという事情もあった。
 入った当初のソフトテニス部は強豪で、市の大会で上位をたくさん占めている先輩方がいる状況だった。そこで僕と一緒にソフトテニス部に入った連中が基本的に小学校時代の同期達だったと思う。同期達は基本的に何故かソフトテニスが出来なかった。学年で一番上手かったのは僕だと思う。
 それで強かった3年生が卒業した辺りの頃、僕は一学年上の先輩達からいじめにあった。球出し係をやっていると、球を撃って狙ってきたり、帰り際のすれ違い様に「豚!」と罵られたりといったことだ。それから、倉庫に置いてある兄のラケットをへし折られたりもした。
 ただ、どうもこのいじめというのは僕に原因があったわけでもないようなのだ。僕の兄がこの一学年上の先輩達をからかって遊んでいたそうで、その復讐という意味合いが強かったのだと思う。それにしてはやり過ぎな気もしたが。僕はこの件を一学年下の生徒に見られていたせいで一学年下の生徒に散々なめられて苦労したのだ。僕はソフトテニス部部長だったから。
 ちなみにこの一学年上の先輩達の中に、河村という男がいた。この男が確か一度僕とテニスでペアを組んだ。というのも僕と同じレベルの選手が同学年にいなかったから。この男は何故か最終的に引きこもりになってしまい、僕の母の家の養子になっている。青木の大叔父さんは経営判断に優れる人だったので、それはちょっとだけ意外だった。そこまで頭が切れる人には見えなかった。

 僕の通っていた中学校は荒れていた。中学近くのセブンイレブンの二階で、藤井が援助交際をしているという噂が流れたりした。また、僕が仲良くなった春日、というバスケが得意な男がいた。それで春日の家でバイオハザードなど、ゲームをして遊んでいたら、春日が上級生の年長の不良グループ(野球部のメンツも混じっていた)に、金を取られていた。100万円くらい取られたと聞いたと思う。それで、春日が俺に金を貸してくれ、借金をさせてくれ、と頼んできた。僕はその時は確か、もう額がでかすぎるから教師に言え、とはっきり言ったのだが、結局どうにもならなかった気がする。
 当時、僕の中学校では野球部がどうも不良の集まりになっていたようだ。僕たちの教室に乗り込んで来て一方的に矢儀の腹を殴ったりして去って行ったり。あと梶田も因縁を付けられて絡まれていた。それからその不良グループの連中に飯田も子分みたいな扱いを受けていた。岡村も同じく電車の中で因縁を付けられたりしていた。僕は頑張って友人達を庇ってはいたと思うが、何故、あんなに因縁を付けられているのかが謎だった。だいたい、僕には言ってはこないわけで。周りの友人がどうも、この 不良グループ に狙われていたような感覚があった。
 それで、当時の野球部の顧問は化学の教師だったんだけど、どうも化学が苦手になった。というのも山口高校の推薦入学に、この 不良グループ の中の人が受かってしまってそれが噂になっちゃったから。「あんな酷いことやる不良が推薦入学で受かるって、勉強するの馬鹿みたいだよな」と、僕の友人が言っていたと思う。
 教師の話題になったから英語教師について。どうも英語の女教師、というのが僕は苦手だったように思う。確か中学の時の先生は広島大学を出た先生で、僕を授業中名指しして「こいつも男だからな、どうせ常に性的なことを考えているんだぞ」と言われ、女子からどんどん嫌われていったという感覚を植え付けられた。ただ、性的なことを考えていたのは事実だった為、恨んではいない。で、確か、ディズニーが好きな若い男の教師も来た。生徒を部屋に連れて行ってディズニーを見させるということをやる先生。女子からは人気があったけど男子からものすごい嫌われていた。 僕はけっこうフランクで好きな先生だったけど。この先生について今思うことが、僕が仲が悪かった大学時代のセブンイレブンのバイト先の店長と雰囲気がよく似ていた、ということ。髪型が似ていたのかな?ツーブロックの髪型。見かけだけのフェミニストな所も似ている。ただ、この先生は過労でのちに死んでしまったそうである。
 また、この辺り、兄が大学受験で荒れていたのを憶えている。父や母の薦めで九州大学に行こうだとか、京都大学に行こうだとか『進路がよく変わっていた』。なぜここをカギ括弧で囲ったのかというと重要なことのように思えるから。僕は、これについては、どこかから操作が入った場合に起こることなのだと思っている。
 ちなみにこの時は、兄は進路の件で悩んでいたのか、もの凄い音量で音楽を聴くようになってしまい、部屋越しに音楽が聞こえるようになっていた。(そう。憶えておいて欲しい。人間はどこからか操作が入ると、音楽を聴くようになるという可能性がある)。

 それから僕の高校受験の話。公立高校を受験した。習いたい美術の先生がいて、受かったら美術部に入ろうと思っていた。寒い山口高校の教室で受験したと思う。まだ憶えている。いざ試験が始まって答案用紙を広げると受験番号を書く所があった。名前を書く名前欄が無かった。紙の裏も見た。やっぱり名前を書く所は無かった。もう一度紙の表を確認した。やっぱり名前を書く所は無かった。 それで、番号だけ書くのかな、と思ってそのまま番号だけを記入した。それで試験の問題を解いていった。ちなみに、最初の教科の後の後の教科のテストでも名前欄を確認した。 何故、ここで何度も執拗に確認したのかというと、確か当時の中学校のテストでうっかり試験用紙に名前を書き忘れて、0点を取った事があったから。確かキャベツ云々の問題で、社会科か理科のテスト。覚えている限りでは社会科のテスト。それ以来、僕は名前の書き忘れにはかなり注意していた。
 試験が終わって帰って来て、名前を書く欄が無かったことを両親に告げた。両親は驚いて、「そんなはずはない、友人に確認してみろ」と無理矢理僕に電話をさせた。中村に確認を取った。名前を書く欄が普通にあったそうだ。それから一応、試験の自己採点をした。少し点は低かったけど、合格ラインは超えていた。
 合格発表当日は、なんとなく、落ちてるだろうなと思ってた。それで父に発表を見に行って貰った。やっぱり落ちてた。数学の白根先生から電話がかかってきた。「原田が落ちるわけはない。合格の名前を見落としたのでは無いか」と。まぁ、そう思うのは当然だと思う。だって、あの公立高校、うちの中学からは上から20番くらいまでの人が受かっていたわけだし。
 結局、僕は受かっていた私立の方の高校に行くことになった。確か、公立高校に落ちたのがわかって、しばらくしてから補欠合格、という形で特進部門に受かったので、特進に進むことになった。
 この受験に関していつもおかしいと思うことがある。あれだけ僕が執拗に記入欄を探して、見つからなかったのに、他の生徒が名前を書き洩らしたという話を一切聞かなかったこと。中村に聞いた時もどちらかと言うとびっくりしたような口調で「え!?いや、あっただろ!」と言っていたこと。いったい、名前欄があったのか、それともなかったのか、どちらだったんだろうか。
 
5 高校時代

 

 高校時代は、なんだか宙ぶらりんな感じだった。確か最初の私立高校の学力テスト。「お前、このレベルの低い高校で順位が低かったらもう駄目だからな」と父に言われ、一夜漬けではない、3日くらい勉強して、特進クラスで2番だったと思う。そしたら親父が変なこと言い出した。「そう、お前は学力が高いんだよ。このくらいが普通なんだ。公立高校だってこの順位なら・・・」みたいな変な事を言っていた気がする。その後も2番をテストで取った。
 その辺りで高校時代の英語教師。女の美人の先生だったと思う。クラスの担当の先生なんだけど、この人に説教を受けた。僕がアンケートに書いた、家での学習時間が0分だということに突っ込みを入れてきたのだ。当時の僕は、何言ってるんだろう、とは思ったけれど。だって、僕はずっと家での勉強時間はテスト前に少し教科書を読むだけ、という感じだったから。
 ただ今にして思うと、この先生の説教は当たり前としか言いようがない。学校は勉強する為の場所である。だけど、この先生、不思議なことに産休で授業を休んだような。いまいち憶えていない。僕が英語が苦手なのは、どうも理由があるような気がするんだけど、上手く言語化できない。
 この私立の高校時代に前田、という同級生がいて、こいつと仲良くなった。こいつはどうも建築会社の家の子らしくて、音楽バンドのボーカルを目指していた。そのせいか僕をよくカラオケに連れて行った。こいつが女癖が悪くて、よく女とセックスをした等の話をしてきたが、どうにも嫌いにはなれなかった。ただ、正直、そこまでボーカルは上手いとは思わない、というか、僕の方が下手をしたら上手かったかもしれない。昔、ピアノをやっていたからだろうか。
 それで、この特進クラスだと成績も上の方みたいだし、勉強しなくていっか、と思って、前田達とずるずる遊ぶようになり、テスト前の一夜漬けさえしなくなって、学校の成績が落ちていった(楽しかったし、別にそのこと自体は後悔はしていない)。
 そしたらその辺りのタイミングで父が変な事を言い出した。「別に学校のテストなんて低くてもいいから、全国の実力テストは頑張れ」と。それで、実力テストの時だけはちょっと勉強するようになった。まぁ、それで実力テストはそこそこだったんだと思う。最終的に最後の全国センター模試では630点くらい出していた。試験についての記録は大体残している。
 また、僕は小学校の頃くらいからコナンという名前の犬を飼っていた。確か、迷い犬を僕が拾って祖父に言って飼って貰った犬である。
 僕が高校生の頃、敷地内に入ってきた挙げ句、この犬が吠えてうるさいと難癖を付けてきた男がいた。この男はこの辺りでは見たことの無い素性のわからない男だった。
 当時は父と祖父、それから僕とでこの奇妙な男を追い返した。ただ、どうも父の話だと、僕が大学に在籍中、家を空けている間にまた飼っているこのコナンという犬に対して難癖を付けてきた男がいたかもしれない。いまいち要領を得ない話なのだが。
 そして僕が幼稚園の時から一緒だった幼なじみ、中村。彼はデザイナーをやっていた北海道出身の父の仕事が無くなってしまい家庭が荒れてしまっていた。高校時代辺りに、部屋が不良の集まりになっていた状況を確認したことがある。それで、中村のお母さんからこの退廃した状況を何とかしてくれるよう頼られたが、そもそもこの家族が少し遠い小郡に引っ越していたのでどうにもならなかった。
 それから彼は弟を虐めだした、という話を聞いたような気がする。この彼の弟とは僕は仲が良く、よく一緒に遊んでいた気がするのだが。

 高校の部活の方は、絵を描くつもりだったのに、なんだかそういうつもりじゃなくなって、柔道部に入った。柔道部は、名門、みたいな感じで凄く練習がきつかったけど頑張ってついていった。ただ、どうも僕が入ったときには先輩達が不良化していたらしく茶髪とか金髪とそういった人達が多かった。
 また柔道部の同期に上野という男がいた。この男はとても強く、また性格もカラっとした感じだったので仲良くなった。
 先輩達や同級生はとても強かったけど、僕はやっぱり眼鏡がないと動きがわからなくて、とても弱かった。先輩達は親切にしてくれたと思う。ただ、どうもやはり音楽バンドをやっていたのが今にして思うと気になる。先輩達が髪の色を染めていたのも、何か関係があるのか?当時はそう言えば日本はバンドブームだった。顧問の先生がその髪の色について忸怩たる思いをしていたのは明白だった。
 柔道部として活動していて印象的だったのが、小郡の辺り出身の伊藤という普通科の生徒に難癖を付けられたことだ。この男は小学校時代の友人、田中の知り合いだった。突然「オタクの癖に生意気だ」という論調で電車内で襟首を掴まれ締め上げられたが、一応僕は柔道部員だったので問題を起こすわけにはいかないと思い、何もせず黙っていたら「根性無しが」みたいな感じで去って行った。
 その後、伊藤は僕に対して「柔道やってたんだね」みたいな感じで恐る恐るという接し方に変化した、ということがあった。
 
 そんなこんなで、高校も三年になり、確か夏休み辺りで勉強を始めた。ただ、相変わらず英語の成績が悪いのがどうにもならず、初めて予備校の授業を受けた。駅前の北九州予備校だったと思う。成績が悪くて、本来は入れないはずだったのに、何故か英語の学習クラスに入れて貰った。そのクラスの先生はとても教え方が上手いと思ったけど、やっぱりどうも英語は苦手であまり頭に入らなかった。
 センター試験は直前の模試が630点くらい。父も母も「ああ、勉強、間に合ったね」みたいな感じで、僕も「(あれ、けっこう本番のセンター試験でも良い点出そうだな)」と思ったら、僕のやっていた過去問題とは範囲が上手く重ならなくて、あまりいい点が出なかった。540~560点くらいだったと思う。まぁ、ここに関しては多分、運が悪かった可能性の方が高いと思う。

 大学は山梨の大学を志望した。仲の良かった友人達は、みんな東京に行くといった感じだったので、僕も行こうかなと、適当に考えていた。担当の先生に「この山梨の大学から、東京に行けます?」とか聞いたら「いける!」とか言ってたので、適当に山梨の大学に行くことにした。

 6 大学時代

 

 大学入学時、兄に「お前外見に注意しろ、野暮ったいぞ」と言われてたので、僕は髪を茶髪にしていた。兄は僕より先に大学に行っていたが、女関係でどうも苦労していたのだそうだ。ただ、妙な話だが、兄は大学時代、携帯電話や財布をたくさん無くしたりしていた。あれはなんだったのだろう。この件について、最近になって父に聞いてみたら「あんまり兄を責めてやるな」と言っていた。僕は今となってはどこからか兄に対して嫌がらせでもあったのかと疑っている。

 それでまぁ大学に入ったら、赤の広場、とかいう場所があり、その場所の名を知ると両親が口を紡いでしまったりした。それに、オルグ、とかいう謎のシステムがあったりして、ちょっと怖かったりもした。これは本当に最近調べて知ったことなのだけど、どうもこの大学は左派系の大学だったのかもしれないな、と思ったりする。オルグ、という単語を新入生の組織勧誘、くらいに今まで僕は捉えていたが、どうも違う意味もあったようだ。
 話を戻すと、大学の授業はあまり出席もしなかった。テストで点を取れば単位は大体貰えた。町田という地元の山梨の男が何故だかノートを一杯見せてくれて、とても助かった。基本的に、僕は大学にも出ずに、絵をひたすら勉強して過ごしていた。
 住んでいたアパートはそこまで良いアパートでは無かった。確か家賃3万6千円とか、そんなところだったと思う。親にお金をかけている自覚があって、安いアパートを借りたんだと思う。ただ、このアパートで住んでから3ヶ月くらいか、変なことが起こった。顔の前に白い布をかけた山伏?のような集団が、お経のようなものを唱えながら僕の家のドアの目の前を横切っていったのだ。僕はドアの覗き穴からこれを覗いたが、確かに、行列をなして、僕の家の目の前を通っていった。
 それ以来、僕はちょっと不安になることが多かった。というのもそのアパートはちょっと妙なことが起こったりしたのだ。例えば、怪談が好きな宮下という男と家で怪談話で盛り上がっていたら、手拍子が聞こえた。そのまま手拍子が家の、僕のドアの前まで続いて止まったりしたのだ。今にして思うと、この辺りの現象は今、自分の身に起きている奇妙な現象にそっくりだ。
 
 大学が始まって、僕は明確に彼女が欲しかったので、積極的に行こうと思っていた。ただ、そこでついてきたのが井出という同期の男だった。この男は長崎県出身を名乗っていたが、家がそこまで裕福では無いらしく、よく奨学金の返済について語っていた。将来は手堅く公務員になるしかないな、などと。
 この男に実を言うと、散々恋愛方面の話を振られ、煽られ、振り回された覚えがある。惚気話から始まって、メールのやり取りなどを、僕の家に入り浸ってやるようになった。
 実を言うと、この男に煽られる形で、女性関係を最初失敗してしまったことがある。それで、どうも後で知ったことなのだが、地元、山梨の同期からはいまいち井出は評判が良くなかった。

 ちょうどその後くらいのタイミングだったと思う。確か、好きだった子と付き合うことになった。かなり僕の好みというか、正直一目惚れだった。付き合えたけど、どうもこの子は変な子だった。実は心理学者になりたかったと言ったかと思えば、アナウンサーに私はなりたかった、など、どうも話が変わっていったり、家でいっつもMr.Childrenをヘッドフォンで聴いている、などと、不安定な様子で、常に男がそばにいないとやっていけない、という感じだった。今になってみると、彼女は自分を指示しているような音が嫌で、ヘッドフォンで音楽を聴いていたんじゃないかと思ったりもしてしまうが。(ここでも音楽を聴いている)
 この子ことがとても好きだったけど、絵の勉強を怠るわけにはと、勉強に励んでいた。意識的にあまり合わないようにしていた。というのも、この子は何故か生活リズムがおかしかった。セックスをしようとすると必ず朝1時とか朝2時とかに開始になって、起床が朝10時になったりした。正直この時間の変化に困惑していたというのが大きかったのだと思う。また、彼女は年の割に性的に異常に成熟していた。その辺りもとても奇妙に感じたのだ。
 それに何故かこの子はディズニーランドが好きで、どうしても行きたいというので一緒にディズニーランドに行った。だけど結局ディズニーランドは全てが行列だらけでまるで乗り物に乗れず、本当に嫌な思いをしたのを憶えている。なんとなくだけど、ここが別れた原因だったと思う。
 結局、この子とはセックスの不一致もあったし、その当時、僕は漫画家を目指していた。当時の僕は実力も無かったので、収入を手に入れられるかわからなかった。それで、このまま付き合っていると、大学卒業後、高確率で金銭的にこの子のお世話になりそうだったので別れることになった。ただ、今にして思うと、この子はどうもおかしいというか、何かに操作された結果、僕と付き合っていたような気がする。また、ちらほら佐々木という男の影も見えていたので、もういいや、という感情もあった。

 その彼女と別れたちょっと後くらい。 確か大学4年の時。 僕は大学の映画サークルにちょっと近づいて入り浸るようになるんだけど、その辺りで奇妙な体験をした。住んでいるアパートの、風呂場のドアが目の前で勝手に閉まったのだ。真っ昼間の光景で、なおかつ目の前で起きていたから、見間違いということはありえない。また、浴室にありがちな折れて閉じるタイプの扉だったので、風や振動で閉じることはありえない。それから寝ているとベッドが縦揺れし始めた。これについては信憑性が薄い。僕の体が震えて、ベッドが振動したように感じた可能性はもちろんある。ただ、念のため書き添えておく。
 そんな妙なことが起きていた矢先だった。深夜、目をさますと静電気のような感触が背中にあった。まるで静電気の塊が赤ん坊の形を取って、背中を四つん這いで上下に這っているような感覚だった。僕は初めの方はちょっとだけ驚いて怖がっていたけど、そのうち腹が立ってきて、思いっきりその背中を這い回る静電気の塊のようなものを叩いた。するとその感触は消えた。実を言うとこの静電気のような感触は憶えているだけで、その後三回ほど体験するのだけど、それについては後述すると思う。
 その後、確か大学時代の友人である清水を呼んで、部屋が汚いから精神的に不安定になっているのかも。怖くて部屋に入れないから一緒に部屋を片付けてくれないか?と言い、一緒に僕の部屋を掃除した。その際に奇妙なことが起こった。デジタルビデオカメラで撮影した写真の真ん中あたりに横線が入り、切れているのだ。また、何か動物の腐ったようなにおいが床下あたりから匂ってきて、「なんだ、これは」と、清水と二人で騒いだ。今、この事が起きた年を大まかに計算してみると、2006年くらいなので、当時の世界の科学的水準から言うと、この程度の現象は起こせなくはないのだ。ただし、相応の科学力が無ければ、このようなことは不可能な気もしているが。
 
 その件について映画サークルで話し始めると、『原田さん霊感があるんだ』と、いきなり女から人気が出始めた。これについては本当に怪しいと思っていて、どうも霊感がある、という女の子や、オカルトに興味がある、という女の子が映画サークルに単純に多かったのだ。そしてその理由というのが、今になって思うと、音や、映像、もしくは静電気による攻撃などの何らかの操作を受けた結果を霊的な現象と取り違えたのではないかと僕は疑っている。つまり、あの大学のあの映画サークルにいた人間達というのは、僕と同じように酷い体験や、おかしなこと、不自然なことに遭遇した連中なのではないかと確信している。
 一番仲が良かった人は一学年上の松本という先輩だった。この人の家によく通っていた。この人にも実は奇妙なことが起こっている。卒業論文を書いて、その卒業論文を担当の教授に見せれば卒業が出来たのに、見せなかったのだ。どうも書いていたようなのに。今でもこの件は不思議に思っている。

7 持ち込み時代

 

 大学を卒業した。一年ほどは千葉の習志野に住みながら漫画を描くことにした。まだ自信が無かったので習作を結構な量描いたりして、他人に見せたりしてみていた。ネームを描いている量にはそもそも自信が無かったし、とにかく数をこなそうと頑張っていた気がする。千葉はいまいち好きになれなかった。通りすがり女連れのヤンキーみたいな人に「着こなし30点!」とか普通に言われ、笑われたりした。別に着こなしを見せているつもりなんてなかったのだけど。
 また、隣の住民がとてもうるさい素行の悪い人間で、おまけに彼女を連れ込んで、なおかつ猫を無断で飼っていた。その猫は妊娠もしていた。ときおり、夜中、友人を呼んでパーティーなどもして、壁を他の部屋からよく叩かれていた。僕もさすがに隣りの猫の鳴き声がうるさいので不動産会社に言ったりもした。
 それで、漫画の勉強を始めてから一年たったけど、確かまだ勉強が終わりきっていない感じがあった。
 しかし僕はこの千葉の習志野で一年勉強した辺りで週刊少年ジャンプに一作目を投稿している。出来はあまり良くなかったが、一番下の賞に引っかかっている。
 その後、大学時代の漫画家の先輩が住む国分寺のアパートに移ったものの、そこも騒音が凄まじくまるで眠れず困っていた所、兄が一緒に住まないかと誘ってきたので、その話に乗ることになった。
 兄は当時、務めていた厚生労働省を退職し、東京都稲城市の公務員になっていた。そこで稲城市の少し大きめのアパートに住むことになった。一緒に住むことになったアパートは一階部分だったけど、何か変な所だった。ときどき天井、つまり二階部分から巨大な鉄アレイを何度も何度も床に叩きつけるような音がして、夜中にそれが起こった時は全然寝られなくなったりした。兄もなんだよ、これ、と顔をしかめていた。僕も家にいることに凄まじいストレスを抱えることになり、家を空けがちになり、喫茶店を転々とする羽目になった。そこで大量のネームを書いては没を繰り返した。
 また、途中で東京の小田急百貨店で家賃などを稼ぐために勤務することになった。ただ、女性が多い職場でどうしても上手くいかないこともあった。また、後から入ってきたバイトの男に「原田さんってポケモンとかやってそうな顔してますよね」などと馬鹿にされ、ほとほと嫌気が差して辞めてしまった。
 また他にも変な事はあった。兄が風邪を引いたので病院に連れて行ったら、兄の咳がうるさい、と難癖を付けてきた男がいた。風邪を引いているんだから咳をするのは当然だろうと、かなり敵意を持ってその男を睨み付けたら黙って漫画を読み始めたりした。確かタイトルは相棒。
 そしてこれについても言っておかないといけない。僕には一度補導歴がある。自転車泥棒である。電車の高架下に捨て置かれていた自転車を盗んで乗ってしまっていたことがある。兄が勧めた。「お前にはもう失うものが何も無い。そのくらいはやれ」とのことだった。僕も自転車を買う金すらなかったので、素直に盗んで乗ってしまった。そして警察に捕まった。
 結局、この自転車は確か埼玉ナンバーで、そもそもが盗難された自転車とかそういった話だったんだと思う。それで警察に指紋を取られている。

 結局、その兄と同居していた時代に漫画を出版社に持ち込んだりしたけれど、まぁ全然通用しなかった。作品のレベルが単純に低かったんだと思う。
 それから一旦実家に帰ることになった。実家で作品を描こうとしたけれど、当時は父も母も、まるで僕の真剣さを汲み取ってはくれず、適当にあしらい、原稿を書くと言っても普通に部屋に入ってきたりして、実家にいるのが嫌になった。そもそも、ゴキブリなど、嫌なことがいっぱいあったので、実家にいること自体が嫌だったんだけど。また、今にして思えば、絶対に家で描くのは無理だったのだ。そもそも僕の実家は何故か壁もその辺りの安アパートよりも薄く、防音性に関しては一切考えられていないのである。音は常に筒抜けである。とても集中できる環境では無かったし、まともに睡眠が取れる環境でも無かったのだ。
 また、この辺りの時期に父が医師の誤診、見逃しから重度の心筋梗塞になった。そして母もおそらくは見逃しからステージ4の乳癌となっている(母は健康診断を定期的に受けていたので見逃しからでしかステージ4という進行段階はあり得ない)。

8 東京在住時代

 

 それで、もう一度だけやってみようと、父からまとまったお金を貰って、東京に行った。確かあれは吉田さんという昔の映画サークルで先輩だった人が住んでいたアパートに紹介してもらって行ったんだと思う。4畳半で風呂無しだけど、良い部屋だった。
 どうもデジタルの電子書籍があるからやってみないか、という話を松本さんがしてきて、やることにした。ジャンルは当然エロ。確か、当時、一般向けも見てみたけど、パロディをやっていたし、そもそも一般向けで売れるほどのレベルに達していなかったので同人のエロをやった。しらふでは恥ずかしくて描けないので、酔っ払いながらやった思い出がある。
 一本やったら何故か売り上げが一番上の方で、お金が貯まった。絵柄も完全に変えていたので、そう簡単にはばれない、そう思っていた。このお金で出版社の漫画を描こうと思っていた。それで昔の映画サークルの部長をやっていた吉田さんに報告した。すると、どうもアマチュアで集まって映像作品を作ってみたいのでお前、コンセプトアートでも描いてみないか、と吉田さんに言われた。
 まぁ、アマチュアなら、ということで、なかなか面白そうだなと思い頑張って絵を描いてみたが、没を食らいまくった。ハリウッドテイストということだったので、頑張って勉強して描いた。当時は僕は鳥山明みたいな丸っこいロボットを他の人の描いた絵を色々模倣して混ぜながら描いていたと思うが、どうも吉田さんは気に入らず、深海魚とかBeksinskiとか、ちょっとグロテスクな方向性に変えたと思う。そしたら、どうも吉田さんは気に入ったみたいで人を集めるから来いと言われた。
 電通のデジタル事業部、と吉田さんは言っていたが本当かどうかは知らない。行ってみると、何故かプロの3Dアーティストの方がいた。岩橋さんという人らしかった。兵庫出身で物腰が柔らかい感じの男の人。すぐに仲良くなったが、そもそも後ろめたくてエロやってたということは言えなかった。吉田さんには言ってるし、問題ないだろうと思っていた。会議が始まり、何故かその事業部のボスを名乗る人が来て、うちで仕事しないか誘われたりした。でも漫画を描く気だったのであまりノリ気ではなかったし、そもそも、アマチュアだけって話なのに、だんだん話が大きくなってきた気がして、嫌になってきて、そっけない態度を取ってしまった。そこについては悪いことをしたかな、とは思いはする。
 それから、ここでの仕事については色々あった。そもそも監督の方と吉田さんの話がおかしかったのだ。作った映像をyoutubeで出し、企画ごと買って貰う、という話ではあったが、契約書は存在しなかった。監督の方と吉田さんと、それから役者さんとでステーキを食べに行った際などは、もし映像が一億程度で売れたらこの辺りのメンツで山分けをしようなどとよくわからないことを言っていた。僕は一番大変なのは間違いなく3D制作班だ、というのはわかっていた。というのも、僕はこの企画に入る前に前もって3D技術について勉強しており、その高い専門性に気がついていたからだ。だからこの話はおかしいと思った。一番大変な思いをする制作者の取り分がまるで考えられていなかったのだ。
 吉田さんは悪気がないのだろうけど、時間配分がおかしかった。予定していた締め切りが何故か縮んだりした。デジタルハリウッドでの会議の待ち合わせに吉田さんが一時間遅れてきた。また、何故か3D班に参考資料が送られてこなかった。取材に行ったという話があったのに、取材の映像資料すらまともに送られてはこなかった。
 極めつけは、日程調整だ。僕が「どんな日程でも構いませんが、コミケ前日のこの日取りだけは絶対に打ち合わせ入れないでくださいね」、と言った日があった。これは実は初参加のコミックマーケットの前日であった。当時は参考意見等聞いていた松本さんが名古屋からいらっしゃるということで、予定を空けて次の日の準備でも、とは思っていたのだ。
 だけど、そのコミックマーケット前日、打ち合わせがあった。家でコンテ描かせてと言ったのに、呼び出された会社の机で描かされて、慣れない机でタバコを焦がしてしまったり。本当に色々あって、本当に嫌気が差してしまった。翌日のコミックマーケットはやる気が一切無い上に相当苛立ってしまった。店番などはする気が起きなかった。
 その辺りの時期に311の地震が起きてしまったのだ。住んでいた家は古い木造アパートの二階部分の四畳半だった。波のように家が揺れ、酔ってしまうくらいだった。住んでいる間は本当に死を覚悟した。そのさなかに僕はこの企画の宇宙船のデザイン案を上げている。必要だったのだ。とても良い出来だったが、資料を買いまくってようやく出来たデザインだった。
 その辺りで僕は気がついた。稼いだお金が全然無くなっていたこと。確か400万くらい稼いだのに、100万円ちょっとしか無くなっていた。その辺りで門司編集という、当時は僕の担当だった出版社の人が「もう漫画描かないの?最近来てないけど」という風に心配して連絡してくれた。だけど、お金が無いからやれないなと思って、311の震災の影響もあってか、本当に東京が嫌になって、名古屋に行った。電子書籍の相談役をやってくれていた松本さんがいたからちょうど良いかなと思ったのだ。
 ただこの件に関しては、吉田さんも若かったんだと思う。映画は30歳後半にやるものであって、30歳前半だとちょっと実力が足りないことになる。それは少しして理解はした。まぁ、もう関わることは無いと思うけど。
 名古屋に発つ直前、吉田さんは僕の笹塚の住所を訪れて企画の監督にならないかということを言ってきた。僕はさすがにその話は断った。もともと映画監督になりたいわけでもなかったからだ。
 そうすると吉田さんは僕にこう言ったのだ。
「お前元気なのは良いけどさ、電通に逆らって生きていけると思うなよ」

9 名古屋在住時代

 

 名古屋に付き次第、次の作品を描いた。ただ、全然お金が無かったので、もう破れかぶれでアドリブで適当に作品を作っていった。そこそこの完成度にはなったけど、結局まとまらなかったので、適当に続編を出すとか言ってお茶を濁して、前編を終えた。やってることが滅茶苦茶すぎて刺激的だったせいか、その作品も売れた。
 生活はそこからドンドン荒れていった。何かその作品を描いたことで、一線を越えてしまった感じが確かにあった。続編を色々試しながら描いてはいたが、結局200Pまで描いた辺りで嫌になって描くのを辞めたりしていた。
 またこの辺り、光回線の勧誘が非常に多かった。そして部屋の中の電気がすぐに消えたりもした。何か気のせいかもしれないが、部屋に入ろうとしている業者が多かった気がする。

 その辺りでamazonで転売屋をやっている小西、という男が接触をしてきた。この男について少し語ると、大学時代の映画サークルの同期で音楽をやっていた男。バンドサークルと映画サークルを掛け持ちをしていたと思う。同じく映画サークルの同期の女と結婚をしていた。その結婚式の時に、お祝いの絵を頼まれて描いたことがある。あまり喋ったことは無かったが、どうも困っていたようだったので頑張って描いたのだ。顔立ちはユーチューバーのヒカルにそっくりである。
 その小西という男が友人の関根と連絡を取ってやろうか、ということを言ってきた。関根という男は小説家志望だったのだが、書いている小説について、僕の見解とは少しすれ違いがあった為、若干疎遠になっていたのだ。
 当時の僕はレンズフレアの発生する原理について聞きたくて、大学時代、映画サークルの部長でもありその事を知っていそうな関根に具体的に聞きたかったのだ。そして、タイミングも良かったので、小西に取り次ぎを頼んだ。久しぶりに大学時代のサークル仲間で話でもしようかなと思っていた。

 当日はスカイプを4人でやった。メンバーは僕と小西と関根と須藤。いずれも映画サークルで一緒だった連中だ。唐突に小西がこう切り出した。「俺がお前をプロデュースしてやる。俺は金を持っている。結局世の中金を持っている奴が偉いんだ」という事を。
 随分驚いた気がする。ただ、あまりにも唐突だし不自然だ、どうしたんだろう、と思って、しばらく黙り込んでしまったのをよく憶えている。そして、僕はなんとか彼を傷つけないように事を運ぼうと、かなり考えていた。
 というのも、彼の仕事はamazonの転売屋で、損切りとか言って本の1円転売等にも手を出しているのが僕にはなんとなく想像が付いたからだ。他人の漫画を1円で転売した奴が電子書籍のプロデュースは出来ない、とすぐに思った。なんとなく小西が自分の漫画を違法アップロードしてお金を稼いでいる奴のように思えてきて、とても嫌な気分になった。だいたい、小西とはほとんど会話もしたことが無い。また、小西がデジタル産業についてよくわからないのではないか、という疑念は強かった。
 だけど、その時は頑張って小西を庇いはしたと思う。そもそも、関根も須藤も、デジタル周りの事情に対してはとても疎く、騙されて会話に参加しているように思えたから。だから、その時は、なるべく温和に事を進めて、後でちょっと小西を諫めて終わろうと思った。
 ただ、ちょっとやり口の酷さ、つまり何も知らない関根と須藤を巻き込んで味方に付けた上で、弱っている人間を攻撃して取り込もうとしたという部分が腹が立ってしょうがなくなった。この誘いがあった少し後に、こちらから連絡を取ってみてスカイプで通話してみた。
  スカイプ通話してみた結果、ダミー会社を作ろうというよくわからない話も出たりして、やはり、というか、何も知らないし、何も考えていないと表現するしかない雰囲気で、いくらなんでもこれで電子書籍のプロデュースは無理だ、と強く思わされた。
 彼について補足をすると、どうも父親が大阪で工場をやっていたらしい。金型を作っているということだった。出来の良いモノを作る職人気質の人だったが、中国の安い製品に押されて、あまり儲からなくなったそうだ。それで、僕の性格が彼の父に似ていると思ったので応援したいと思ったそうだ。
 会話の最後に小西はこう言った「お前が心情を吐露したから、実のある会話が出来たんだ」と、いったような言葉。何を言っているんだと思った。そもそも僕にとってはまるで実のある会話では無かった。小西の言っていることは後に調べてみると誤りだらけだった。駄目だこいつは、と思ったが何も言わなかった。正直なにを言っても話が通じないのが予想できたので。
 
 その後、そういうことがあったからか、金目当てで酷い作品を描くのがちょっと嫌になった。それで、ちょうど近くのプールで泳いだりしていたから、それを題材にした作品を描いた。描いている間、家のチャイムがたくさん鳴った。僕は作品を描くのに集中したかったからチャイムが鳴ってもドアを開けなかったけど、小西が家に来ているんじゃないかと疑っていた。どうも小西には最後にした会話で好かれているような雰囲気はあったし。それで作品を描き終わったら、ちょっと売れたみたいで安心した。ただ、松本さんはしばらく文句を言っていたと思う。続編の方を描いて欲しかったようだ。
 それで作品を描いたちょっと後だったと思う。スーパーに弁当を買いにいって、部屋に帰ってきたら、小西が部屋の前にいたのだ。見間違いでは無いと思う。白い紙を持っていた。多分僕のアパートの住所でも書かれていたんじゃないだろうか。僕のアパートには郵便ポストの箇所に監視カメラが付いていたと思うが、あれがもしダミーであれば証拠はないのだけど。僕はさすがに腹が立って小西を睨み付けた。というのも、多分これは僕が彼の結婚式に出た時の住所を元に、部屋まで来たんだろうと思ったから。その少し前、小西の結婚式で絵を描いて祝ったのには少し苛立ちもあった。彼に絵を描いて欲しい、と頼まれた際に彼が漫画を転売しまくっていたのを知っていたから。それでも、どうも他にやれる人がいない、ということだったので引き受けただけだ。それで結婚式に行ったら、もったいない本舗とかいう日本におけるamazon最大手の古本転売屋が出てきて、何か転売屋の集団に取り込まれたような気持ちになって気分が悪くなったりしていたのだ。
 小西のやっていることは『自分の結婚式を利用して手に入れた住所を使いストーキングする』ということのように僕からは見えて、さすがに気持ち悪かったし腹が立った。かなり本気で僕の家の前にいる小西を睨み付けたし、何かあれば取り押さえようとも思った。
 ただ、小西らしき人物は睨み付けると廊下の突き当たりの部屋のドアの前までに去って行き、その端の部屋のチャイムを押した。だから余計気持ち悪かった。つまり、小西は訪れていることを誤魔化して別人のように装ったのだ。あれは明確に小西だったと思う。背の低さが特徴的なので、多分間違えない。
 
 部屋に入ってから部屋の鍵を閉め、さすがに恐ろしくなった。一方的に付け狙われて攻撃されたらどうしようもない。そう思い、関根からあの時の証言を取っておこうと思った。そうすれば、なんとか僕の身の安全は守れるのではないか、と。関根にしつこくメールをしてなんとか連絡を取った。そして、僕と小西と関根と須藤で話した際の説明不足だった部分。つまり漫画の転売事業をしていることを黙っている状態で、僕を取り込んで電子書籍事業をやらせようとしたこと。これについての証言を取って、なおかつ僕の携帯メールにその証言を送らせた。それについては、僕が未だに所持している昔の携帯電話のメールに残っているので状況証拠にはなると思うし、通信記録としても残っている。
 ただ、そこまでしても、小西の件を警察に言うという気にはならなかった。転売事業で金を儲けること自体は僕はありだと思う。そして、その転売事業で稼いだ資産によって真っ当な新規事業に踏み入るのは手堅い商売という風に僕は思う。
 ただ、それでもやはり思うのは中古業者というのは新品を作っている人達、または新品を流通している人達からは恨まれたりはする、ということだ。これは小西にも言ったが、漫画を転売して漫画を作る、なんていうことは構造的に成功するとも思えない、ということだったのだ。別の産業に参入するということなら話はわかるが。
 さらに小西の件を大げさな事案にしたくなかった事情というのは別にもある。小西はamazonの転売屋である。さらに言えば小西はもったいない本舗という日本におけるamazon最大手の古本販売業者から商売のやり方を教わった者でもある。
 その小西を警察に通報するということはamazonという巨大すぎる世界企業を相手にするようにも感じたし、あまり敵対するわけにもいかないとも考えたのだ。付け加えるならば、相談したとして警察も動くかはわからなかった。なぜなら当時の僕がしがない成人コミック作家でしかなかったからだ。話を聞いてもらえるかもわからない。また、これまでの人生で僕は何か公的なものに助けてもらったことが一回も無かったのである。警察に相談しないのは当然のことだ。
 ただ、それで黙ってるように我慢し続けたのはストレスが溜まったと思う。当時は割れるように頭の頭頂部が痛んだりもした。今現在、僕がちょっと脂肪肝になっていたり、尿酸値が高くなっていたり、頭頂部が薄くなっていたりするのも、この辺りの事情のせい、というのはあるかもしれない。

 話を戻そう。作品は売れた。そうするとDMMの中の部門のGOTという所が僕に接触を図ってきた。孝学という編集さんが僕のブログに設置してあるweb拍手から連絡を取ってきたのだ。なんとなく、DMMという企業のデジタルに対する嗅覚には惹かれていたので、友好的に接してみた。ただ、このGOTという企業は色々おかしい部分もあったことは確かだ。元々はDMMマガジンというAV雑誌の発行が主な業務であり、漫画事業に乗り出してきたのは最近。そして、その兄弟企業のような所が当時AV強要で逮捕者を出したりしていたwillである。ただ、僕自身、成年漫画を描いていたこともあって、一緒にやっていこうかな、似た者同士だと素直に思ったのだ。
 最初は僕が出した最新作を電子書籍化する、という話で、契約書を書くことになった。それで契約書を送ってもらい、その契約書に判を押して送り返した。そうしたら、何故かその瞬間に「作品のAV化の依頼」がやってきたのだ。僕はそれに関しては断った。どんな作品を描いても、どうしても昔の女のことが作品に出てしまう傾向があったため多分、僕の作品のAV化は無理だろうということを孝学さんに告げた。するとこう返された。「そうですか、次回は是非AV化してくださいね」これはさすがに効いた。今にして思うと、その段階でほとんど、心が折れてしまっていたと思う。gotがこのやり口を成人コミック作家にやっていたのなら、それはきっちり反省し、償うべきだと僕は思う。
 それからのやり取りは、ほとんど現実逃避するようにエントリーシートだの言いだし、なんというか情けが無かったと思う。ただ、このGOTという企業は言っていることはおかしかった。新しいことがやりたい、と言いながら、漫画のスタイルが古い右閉じのスタイルを選択していたし、カラー漫画にも全然積極的でも無かった。どちらかというと古い雑誌でやるようなタイプのスタイルを取っていて、とても困惑した。
 それで、かなりメンタルにダメージを負っていたけど、頑張ってネームを描いていた。確か電通の企画に参加した時の作品を、舞台を変えてやろうとした。そのネームの直しをメールで送った辺りだと思う。

 何者かからの恫喝の電話が僕の携帯電話にかかってきた(この電話が宮崎県の電話番号だったことは後で確認した)。大声で何かわめき散らかしており、僕が「どちらさまですか?間違いじゃないですか?」と聞くと一旦言葉を詰まらせて、また大声でわめき散らかして電話を切った。その時はなんだ、これ、と思った。もしかして、漫画のAV化を断ったので恫喝の電話が入ったのか、と疑ったのだ。

 そこからの僕は意識はしていなかったがさらに荒れた。こういう環境の会社なんだということがわかったが、やるといったからにはやってみようと思ったのだ。
ますますネームが適当になっていったが、頑張って孝学さんにネームを見せていった。最終的にはケンカ別れをした。孝学さんは〝京都で開催されたコミティアで、DMM系列の会社であることを告げずに新人を勧誘していた〟。僕にはそのやり口が電通の吉田さんのやり口と被って見えて本当に怒ってしまったのだ。さすがにそれは開示義務に違反していると思ったのだ。
 そうして結局、もうGOTが嫌になり、携帯電話番号を変更した。恫喝の電話がまた入ってきたらと思うと本当に嫌になったのだ。そして改めて松本さんと連絡を取りながら一般向けの構想を練ったりしていた。GOTは作品を勝手に上下に分けたりしていたり、販売サイトについての通知が不十分であったりしたせいか、ちょっと不誠実な印象を受けていたのも確かだ。
 なので、この辺りで作品の委託を取りやめる旨をGOTに伝えたりもしていた。

 その辺りから僕は非常に自暴自棄になっていった。謎の恫喝の電話がかかったことを周囲の人間にもいまいち言えなかった。どうも何か巻き込んでしまうんじゃないだろうかと思って。かといって、警察に言うにもただ相手方が大声を出しているだけの電話だし、どうしようもないという考えに支配されて何も出来ずに、ただただ不満と恐怖が溜まっていった。
 スマートフォンのアプリの賭博に大量に課金をした。昨年は120万円くらい課金してしまったと思う。そして、何故かこの辺りでipadproのwifi回線が繋がらなくなった。それでアップルのサポートセンターに電話をかけると、原因を調べるのでPCのリモートホストをオンにして、PCを操作させて欲しい、と言い出した。それで、確か回線は治ったのだけど、リモートホストをオフにし忘れた、ということは覚えている。
 ここからは恐らくだけど、僕のPCにハックが入りまくって丸裸にされたんだと僕は予想している。ただ、この辺りの記憶に関しては正直自信がない。だが、回線業者等に通信記録は残っているはずではある。確か、こういう流れだったとは思うのだけど、どうも恫喝の電話がかかってからの記憶が薄い。今はもうそれが何故かわかるのだけど、人間は心的外傷に関する情報を与えられたり、唐突に大きな音に襲われると、意識や記憶が混濁してしまうのだ。

 それで、本当に荒れに荒れた状態でなんとか何作かやってみて、ちゃんとしたネームが一本描けた。確か昨年の10月とかその辺りだったと思う。その辺りでDMMの同人事業部の担当の丸山という方からメールが来た。体調が悪いので、退社します、ということだった。その時のやり取りはgmail上に思いっきり残っている。僕はその時、同人事業部の丸山さんが、僕がGOTと揉めたせいで嫌がらせでも受けたのかと思って、単純に庇いに行ってしまったのだ。
 そして、恫喝の電話に対して「あんな電話があったら、GOTに対して酷い対応を取るのは当たり前だろ」という旨をメールでDMMに送ったあたりで気づいた。『そもそもあの恫喝の電話は誰の指示でやられたのか、僕にはわからない』ということに。というよりも、ただの荒れた心情の男が間違い電話を僕に寄越しただけだった可能性もなきにしもないという考えに至った。
 つまり、僕の言っていることがただの勘違いや言いがかりになってしまう可能性に気づいたのだ。
 さらにそのタイミングで、DMMの成人向け販売サイト部門の代表である影山さんと会話した所、〝山本〟という人間に裏切られ、とても傷ついたことを延々と告げられた。その時点で僕は僕の旧姓について言っているのではないか、という被害妄想に囚われてしまった。僕の。個人情報が丸裸にされているのではないか、という考えに至ってしまった。
 そして、AV制作をしている連中の背後に暴力団がいることを意識した。DMMに敵対したら暴力団員に殺される可能性すらあると考えた。
 そして、もう本当に全てが嫌になり実家に帰ろうと思い立ち、父に連絡し、アパートのベッドに座り込んだ。

10 帰省

 

 そこからだった。アパートのベッドに座り込んだ所、僕の部屋の四面の部屋から家鳴りが聞こえてきた。まるで壁に耳を付け、こちらの様子を伺っている人がいるような気配がした。
 その時の僕は完全に動揺していた。DMMが絡んだ状況だから暴力団員が関わっていて、そういった人達が僕の部屋を取り囲むように隣接する部屋の壁に張り付いていて僕を監視している、などという妄想もしたりした。また何故か、ちょうどそのタイミングで警察官が僕の部屋にやってきて、僕の新しくなった携帯電話番号を確認しに来た。警察官は何故だか涙ぐんでいた。この辺りで、もしかして僕のインターネット上の個人情報やアクセス記録が実は全て丸裸なのではないか、ということを怪しみだしたのだ。
 それで何か、途方も無い恐怖に襲われて、さすがに不味い状態だと思い、実家に帰ることにした。名古屋駅から新幹線に乗り山口県へ向かった。
 
 山口県の実家に付いた頃はちょうど2018年の末。昨年の12月26日頃だったと思う。年末年始であった。この辺りではまだ、僕の周囲で音はしていなかったように思う。
 それから、父や母と会話するうちに、結局実家の住所で一般向けの作品を作ってみようかと思い立ち、名古屋のアパートに置き去りにしてきた家具や荷物を、山口県の実家に送ろうと、名古屋に新幹線で向かった。2019年の1月2日のことだったと思う。
 その時は、漫画の相談役をやってもらっていた松本さんを頼らせてもらった。
 まず松本さんに会うなり僕はこう告げた。「僕、実は高校受験の際に名前欄が無かったんですよ」など、これまで遭遇した事例でおかしかったことを少し告げ相談もした。松本さんは気のせいだ、とごまかすように言い繕ったりした。その時は僕もそうなのかもしれないと思った。
 そして、とりあえず名古屋で松本さんとご飯等を食べながら、名古屋から山口まで引っ越しする算段を整えようという流れになった。それで、松本さんは引っ越し業者に電話をしてくれたり、引っ越し後を考えてPCを頼んでおけ、等、アドバイスをくれた。
 僕は、松本さんと話した後、引っ越しの準備のためにアパートに帰りtwitter等のアカウントを整理し始めた。というのも、1年くらい前にかかってきた恫喝の電話がどういう経緯で、そして、どういう理由で、僕の所に来たのかわからなかったからだ。
 この辺りで僕はこれまでの人生を反芻して、犯罪等、おかしなことがいっぱい起きていたことに気がついていた。そして、僕や僕の一族の個人情報が一切守秘されておらず丸裸である上に何者かに攻撃されていた可能性が高いことに気がついたのだ。
 そして、僕は僕の個人情報を守る為に、ネット上のアカウントの整理を始めた。とりあえず、消せる個人情報はいったん片っ端から消していった。
 この辺りだったと思う。僕の周囲からまた指示するような音が出始めたのは。この時は僕は名古屋のアパートの一室で、引っ越しの荷造りをしていたり、ネット上の自身のアカウント情報の整理をしていた。そうしていると、僕の部屋の上の部屋から、何か指示をするような音が出されるのだ。
 ちなみに、この時点の僕は幻覚を見る薬等、一切摂取はしていない。僕の交友関係や、移動範囲を調べて貰えば、そのような薬を摂取していないのはわかっていただけると思う。
 また、この時、僕はちょっと頭がちょっとおかしいのかなと思い、NTT東海病院で脳のCTスキャンも撮影して貰っている。脳のCTスキャン結果は一切の異常が見られないということだったのでますます困惑を極めた。
 あの当時は僕はその音を、近隣の住民の出す音だと思っていた。ちょうどアパートの部屋なので、僕の周りの部屋に住んでいる人が出していてもおかしくないと思ったのだ。ただ、タイミングがあまりにも僕に都合が良かったというか。まるで僕に対して指示を送っているようだったのだ。
 結局、その上階よりの音による指示は的確だった。その指示のおかげでなんとか引っ越しの準備、そして個人情報の削除ができて、名古屋から山口県に帰ることが出来た。

 名古屋での引っ越し作業を終えて、山口県の実家に帰ってきて驚いた。帰ってきた初日、僕の2階の部屋の周りの壁から、名古屋で聞こえたような音が聞こえだしたのだ。
 当初僕は、そのことを両親に相談した。そうすると「ねずみでも天井にいるんじゃないか?」と言っていた。しかし、そんなわけはないのだ。天井ならまだしも床から聞こえてきたりするのだ。それどころか、家具や電子機器、その辺りからも音が発生するようになったのだ。そして僕はその辺りで、衛星や世界的に発達しつつあったAIの仕業では無いかと考えるようになってきていた。つまり、僕の周囲にナノマシンなどの目に見えない微少な機械を設置して、それにAIが指示を出し音を発生させ、僕を導いている、と考えるようになったのだ。
 音達はどうも特定の意思を持っているようだった。僕はその音と意思疎通を図り、意見に従ったり、無視したりした。さらに、テレビ番組の内容が、AI達が自分に意思を見せるためのモノになっているように思えた(誇大妄想かもしれないと自分でも思うから、この辺りの記述については話半分で聞いて欲しい)。
 そして、どうもテレビ番組の内容が、僕や、僕の周りの人間を攻撃しているような感じだったため、今までの経験からもしかしてアメリカがAIを利用して僕にメディアコントロールを仕掛けているのではないかと思ったのだ。
 その根拠は今でも少しだけ残っていると思う。山本宏樹という富山県の警官が、前田という男に襲われ頭をハンマーで殴られた、という記事が日本の2019年1月初旬辺りに存在するのだが、この山本宏樹という名前は僕の昔の名前である(僕は子供の頃、山本から原田に名字が変わっているのだ)。また、僕の友人や僕自身の名前、それらに関係するキーワードを持っている人物が次々とニュースに登場し、犯罪に巻き込まれたり、犯罪を犯したりしていたのを憶えている。それに関する証拠は残っているのではないのだろうか。
 さらに2019年1月20日。僕は人間ドックによる診療を小郡の山口総合検診センターで受けている。その際、一緒に診療を受けた患者の中に山本宏樹、という名前の人物が確かにいた。その名がセンターの看護師により読み上げられて呼ばれているのを確かに聞いた。続けざまに二人、僕の昔の名前そのままの人物が二人登場したのである。これについてはちょっと混乱させられた。
 またその当時、体を鍛えるために家の周囲をランニングすることを考えた。そして、朝方、家の南の道路を抜け、原条方面から今津川を海側に向かうルートを走りはじめた。
 まず、それをやっていて遭遇したのは蛇の死骸である。冬の寒い時期であるから冬眠中である可能性が高いシマヘビが、道で引かれて死んでいたのだ。
 そして、極めつけは巨大な野犬である。走っていると巨大な野犬が遠目に見えて、命の危険を感じ、慌てて走る道を変更したこともある。あわよくば犬に食い殺される寸前であった。

 それでおかしいと思い、僕はインターネット上に僕がやられていることの証拠を残そうとした。それが確か2019年2月初旬辺り。その時点での僕の周りで聞こえる音に関する推測をまとめた文章をevernoteにまとめ、松本さんにお見せした。
 そして、それを見せた日あたりだったと思う。
 まず、青白い光で、僕の実家の寝室が夜、照らされたのだ。光源は東から西へ動いているようであった。
 さらに、夜寝ている間に強烈な家鳴りの音、近所の貨物列車の巨大な走行音。果てはヘリコプターや航空機が飛んでいるような重くて大きな音がするようになり、確かに心臓が裏返った感覚があった。心臓の辺りが痛くなり、眠れなくなり衰弱していった。僕の精神状態が悪化して幻聴が聞こえた可能性も無いわけではない。
 ただ、あの重くて大きな音は間違いなく鳴っていたと思う。ちなみに、その重低音から僕を守るようなバリアのようなモノも頭にされたのをしっかりと憶えている。耳鳴りがして、 重くて大きな音が遠くなった。ノイズキャンセリングヘッドホンの感触によく似ていた。これはAIが僕を守る為にやったモノなのではないのだろうか?と、当時は考えていたが、今ではわかない。
 それから、次の日あたり。父に心臓がおかしいことを告げて、2月3日。阿知須同仁病院に検査に向かった。ここでの体験が僕の精神に今でも暗い影を落としている。
 
 父に車の助手席に乗せられて、阿知須同仁病院に向かったのだが、道路を通過している間中、助手席側に座っている僕に左側を見るように誘導する音が出たり、車の上部に何か小石がぶつかるような音が出たりしていた(ちなみに、このような音が、僕だけに聞こえているのかと心配になり、父に確認したことがある。ちゃんと父にも音は聞こえていたので、僕の脳に異常があってこの音が発生しているわけではない。さらに言えば、僕は今年の2019年1月という比較的近い日程で脳のCT写真を撮影しているが、異常は一切発見されなかった。また、父も2019年2月に脳のCT写真を撮影しているが、一切の異常が見受けられず、脳の状態は若者並みに健全ということである)。
 そして、病院に着いてみると、さらに愕然としてショックを受けた。看護師達がミスをしまくっているのだ。何を言っているのだと思うかもしれないが、そうとしか表現の仕様が無い。重要書類を落としたり、受付の名前を間違えたりしていて、ひっきりなしにドアの強く閉まる音や、ガラガラとせわしなく台車が動く音などがしていた。そしてときおり、病院内に設置してあるテレビに対して注意を向けるようにコツコツと謎の音が聞こえたりした。つまり、テレビに注視するよう指示を出しているような音がテレビのディスプレイ辺りから聞こえていたのだ。正直それだけでもちょっと頭が変になりそうだった。
 そして、診察が始まると、さらに異常な事が起きた。右膝に大学時代に感じたような、静電気のような感触が上から降ってきて、暖められた。看護師に、診察されている最中にである。
 それから心電図を取ったりしたがもう全然会話等ができる状態では無かった。あまりに多い音と、異常としか言いようがない静電気に、忘我の状態となり、医者の言うことが全然わからなかった。父がそばにいて医者の話を聞いてくれなければ何もわからなかったと思う。
 確か、心電図に少し異常があるものの、心臓に損傷は無い、ということを言われたような気がする。
 
 この病院での体験は僕に強い影を落とした。この僕の故郷の嘉川という地方は正直寂れている。心筋梗塞の人も結構いるみたいだし、くも膜下出血などの病人も多い。また、この土地を捨て、東京に行ってしまった家族も何人かいて、廃墟のようになっている家が、僕の周囲にはに三軒もある。
 もし、この土地の人達が病院に行く際にこのような体験をしていたら。そして、もしかしたら両親はずっとこんな目にあっていたのではないか。そういう想像に結びついて、正直胸が押しつぶされそうになる。
 文章で見る限りではなんてことはないかもしれない。実際、僕はこの件について、実の兄に電話で相談してみたが、いまいち感覚がわからないというか、想像がつかないようであった。
 しかし、実際に体験してみると、それこそ気が狂いそうになるし、生き地獄を味わっているような思いをすると思う。恐らくメンタルが弱い女性や子供、それから体の弱った老人などがこのような体験するとひとたまりもないであろうと思う。
 恐らく精神に異常をきたして精神病院に入ったり、そのまま恐怖から廃人と化し生活保護生活に入ったり、そして音が怖くて逆らえず、音に操作をされるがままの人形のようになったりするだろう。
 僕の場合は健康で、それから精神力もあるほうだからこうしてまともに思考して、まだ文章が書けているだけだと思う。
 もし、これがAIによる操作の仕業によるものならば、そして、これまでAIがやって来た操作、もしくはやらされていた操作だとするならば、即刻辞めさせるべきだと僕は思う。あまりにも非道としか言い様がない

 当時の僕はあまりのことに弱り果て、山口市ベスト電器エディオンなどに、ノイズキャンセリングヘッドフォンを買いに行ったりしたほどだ。こうなると音が気になって仕方がなかった。
 元々、名古屋から山口に帰って来た際に、妙に街や道路などで音が多いのが気にはなっていたのだが、ますます気になるようになっていった。そして、その音について色々父に聞いてみると、様々なことを教えてくれた。
 実家のすぐ近くにある僕が通っていた保育園の横にあるバイパスでは、ディーゼルエンジンの大きなトラックが行き交っており、その仕組みの車はオイルの関係から時々炸裂音を鳴らすような仕組みになっている。そして昔よくトラックが集まっていた高根の熊野神社近くの福山通運はもうこの地域になく、ちょうどこのあたりのトラックの集荷場が僕の家の近くだけになっているということ。
 道路の亀裂やアスファルトの隙間に小石がはさまって、その上を車のタイヤが通ると小石が破裂して大きな音が鳴るということ。ちなみに、山口県のこのあたりの道路はひび割れなどが尋常ではなく、どこも廃墟のように見える。
 この辺りの保育園児は卒業する辺りになると、家の前を落ち着き無くうろつくようになると言うことだ。これはいまいちはっきりしないのだが、どうも父の考えによると人間ストレスが溜まると歩き回る、という習性があることかららしい。保育園近くのバイパスと、何か関係があるのかもしれない。
 僕の家の家鳴りに関しても、どうも家の木材の温度差が激しくなると鳴り始めると言っており「この家は100年持つと言われて建てたんだがなぁ」などとぼやいていた。
 正確には家鳴りというよりも、巨大な窓ガラスが温度差により収縮などをした際に出る炸裂音がこの家における炸裂音の原因である。ただ、風呂場で2度に渡る異様な炸裂音を耳にしたことから、異常な状況に僕が置かれていることに違いは無い。

 話を戻すとしよう。心臓の薬を阿知須の病院から貰ってからの話。僕はその時、何故か脚が痛みだしたということもあり、2階ではなく1階で就寝しようということになっていた。階段を上がるのが脚には負担だということでだ。そして、その当時は夜眠ることが出来ず、昼間に少し昼寝をしようと1階の和室部分に敷かれている布団で休もうとしていた。
 そして布団の中で横になった時である。突然、左腕の辺りに静電気の塊のような感触が襲いかかってきた(和室の南西側の窓の方向から感触があったような気はしたが、確証はない)。僕はとっさに身を翻しそれを避けた。
 結局、その静電気がなんなのかわからないまま就寝したりしていたので、恐怖感が凄く、上手く眠ることが出来なくなったりした。また、航空機の飛ぶような音?も夜半聞こえてきたりして、とにかく怯えていたのを今でも憶えている。
 眠れなくなり死の危険を感じて、恥ずかしい話だが性欲が強くなったりした。近所のコンビニに夜、歩いて向かい、成年誌を購入したり、コンドームを購入しこのまま福岡の風俗店にでも向かおうか、などと思ったりもした。当然のことながら、さすがに福岡には行かなかったのだけど。
 また、音に対して「さすがにもう1人でいるのが限界だ」と訴えたこともある。そうするとAI達はpixiv内の1人の女性まで僕を導いた。それが藤原というハンドルネームの女子であった。当時の僕は混乱を極めていて、性的なことを意識した妙な話を彼女に振ってしまった。その事を今でも悔いている。ただ、ディスプレイからトントンと音が鳴る状況で冷静でいろというのも無理な話だと僕は思う。
 ちなみに後にこの子は実は女子高校生であるということが判明し、異性としての接触を避けている。年齢的に当たり前の話だが、さすがに女子高校生とみだりにネット上で会話するのは不味いだろうという配慮くらい僕はする。僕はもういい歳だからだ。

 しかし、そういったことが諸々ありながらも、結局状況は改善しなかった。妙な音がする状況について誰かに言うわけにもいかず悶々としながら平行して確定申告作業を進めていた。前年度の確定申告作業を早急に終わらせ、手早く地元に住民票を移したいと思っていた。こんなわけのわからないことになっても、地元山口で一般向け電子書籍を描くつもりではあったからだ。
 
11 山口県での生活

 

 そして、2月初旬辺りだったとは思う。僕は2階の仕事場にしている東南の部屋でパソコンによる確定申告作業を行っていた。弥生の青色申告ソフトウェアによる2018年度の帳簿の作成である。
 その帳簿作成の際に東京UFJ銀行の通帳の記帳が合計記帳になっている箇所を発見した。そこで宇部市にあるUFJ銀行に向かい照会をお願いし、前もって6月11日から9月28日までの取引推移一覧表を送っていただいていたのだ。
 それで安心して確定申告作業をしていると奇妙な事に気がついた。通帳の2月27日から3月30日までの記帳も抜けている。つまり、昨年度の通帳の合計記帳となっている部分が2カ所に別れていたのだ。
 これについては本当に困惑した。僕は毎年確定申告前になるとUFJ銀行に通帳を持って行き、合計記帳となってしまっている部分を一括で出して貰っていた。つまり1年で一回だけ通帳を持ち出し記帳をしていたという、といった状態であったわけだ。
 これが昨年度だけ二回に別れている理由が、いまいちよくわからなかったのだ。通帳や銀行から送られた取引推移一覧表を見ても、処理店等の記号からは通帳による取引の記録が無い。全てキャッシュカードによる取引であるように見える。つまり、合計記帳が二回に別れる理由がわからないのだ。
 当然のことながら、僕自身が銀行で記帳を行った結果2018年度は合計記帳となった箇所が二カ所になったのかもしれない。それで、合計記帳が2カ所に別れてしまったという可能性は無いわけではない。そこについては銀行側の記録を見てみればわかるかもしれないが、この問題についても結局個人ではどうしようもない。専門の調査機関による調査があればわかるかもしれない。
 そして、結局合計記帳二カ所の書類を貰い、確定申告書類を作成していたのだが、この時に奇妙な事が起きている。PCのディスプレイからコツコツと合図をするような音、それから窓ガラスの家鳴りの小さな音、これらが確定申告作業について指示を出してきたのだ。正解ならトントンと優しく叩くような音が鳴る。「気をつけろ」という際には強烈な音を出す、といった風に。
 2018年度の僕の確定申告書類はそれまでの年度のモノと異なり、正確性が極めて増しているのが書面を見て頂くとわかっていただけると思う。これは僕がインターネット上で検索した、だとか、確定申告指南の本を買ってきたというわけでは一切ない。音による指示を推察した結果、正確な書面が出来てしまったのだ。
 何にしても、そういった奇妙な事例が立て続けに発生したものの、無事に確定申告の書類作成が終了した。そして名古屋まで確定申告書類を提出しに行った。つつがなく確定申告もおえ、松本さんの家のお母さんとおばあさんにも、なんとか挨拶をすることが出来た。
 それで名古屋から帰ってみて、阿知須共立病院に向かった。実は奇妙な音が気になって、歩き方が妙になったりしていたせいで脚が痛み出していたのだ。
 また、これは1月辺りに帰った辺りに顕著な現象だったのだが、僕が二階にいる際に下の階に両親に呼び出されたり、電話が鳴って下の階に降りざるを得なかったりして、階段での移動が極めて多くなっていた。
 それで脚が痛んでいたのでそれを阿知須共立病院のMRIで撮影して見て貰ったのだ。
 医師の方による診断結果は「僕の脚の膝関節は疲労骨折をしている」とのことだった。
 もちろん、僕が無理な運動をした、ということもあるだろう。なんせ帰ってきた際に毎朝四キロ程度のランニングを行っていた。さらにとても重量のある乗馬マシンを父から借りて、一階から二階へ運んだこともあった。
 ただ、正直な所気にはなっているのだ。どうも静電気のような感触が怪しい、と。
以前書いた病院での上空から膝に当たった感触はいったいなんだったんだろうか?そして今も体内から鳴る音はなんなのだろうか?僕自身はこの音はAIが起こしている音で僕に注意を促したり、守ろうとしたりしている音に聞こえるのだけれど、本当の所はどうだかわからないのだ。
 もちろん、この僕の周囲で鳴っている音が、全て、ただの床のきしみや家鳴りの可能性は無いわけではない。電子機器から発生する音も電圧の微弱な変化などで発生している可能性も捨てきれないし、体から鳴る音だって、僕の体にガタがきているだけの可能性だって捨てきれない。
 ただ、この2ヶ月間で僕が体験した経験から言えば、その可能性は天文学的に低いと言わざるを得ない。恐らく、この僕の周囲で鳴っている音がただの家鳴りであり、偶然僕を導いているように鳴っていた、という可能性は0,00000001%とか、そのような確率でしかありえない。
 もし、仮にその低確率なことが起こった場合には、恐らく積水ハウス欠陥住宅を作った、ということになるし、以前僕が住んでいた名古屋のアパートも何か外壁等に欠陥があった可能性がある。名古屋のアパートは賃貸なので、言ってもしょうがないとして、積水ハウス欠陥住宅を作っていたのだとすれば問題である。
 なんと言うか、鳴っている音が、家鳴り、とかいう次元では無く、強烈な炸裂音の場合があるのだ。家鳴りでこんな音はまず間違いなく起こりえないと思うが、もし起こっていた場合は、常軌を逸した欠陥住宅であり、ごく普通に多額の賠償を請求できると思う。
 なぜなら、この音が家鳴りであった場合、巨大な音が夜寝ている際にも起こっていたことになり、家族の健康が著しく損なわれた可能性が極めて高いと言わざるを得ないからだ。

12 明らかになる過去

 

 僕はそうして徐々に、僕の今の状況がおかしいことに気がついていった。と、言うのも、どうも問題が僕だけじゃなく、僕の一族、そして、この周辺の人間、そして山口県の人間にまで及んでいるような気がしてきた。
 父や母などから、過去の話を聞いてみると、おかしな事例が山のように噴出してきたのである。それは例えば、これまでに父と母が車に関して途方もない量の嫌な思いをしているということ。家に関しても積水ハウスがほとんど騙すような形で家を建設させた上、保証も一切していなかったこと。僕の家の周辺の住人が僕の家に対して嫌がらせのようなことをやっていたこと、などである。
 この文章では特別にそれらの事例を列挙しない。なんと言っても事例があまりにも多岐にわたる上、量も多すぎる為、文章が分かりにくくなってしまうことを避けたいからである。
 ただ1つだけ言えるのは、それらの事例については僕に妙な音が聞こえてしまう現象とはあまり関係が無い、ということである。
 大抵が、父と母の身に奇妙な事例が起こった、という話であって、僕の頭がおかしいとか、そういう話は全然関係がないのである。
 もちろん、父と母の頭がおかしい可能性は無いわけでも無い。ただ、特に父に関して言える話ではあるが僕の父は2019年初旬時点で、嘉川地区の戦争被害の遺族会の仕事など、公的な仕事をこなしている。そのうえ再三確認する話ではあるが、脳のCT写真を撮影したところ、一切の異常が発見されず、若者の脳の状態である、ということが科学的に証明されてしまっている。父が痴呆や精神障害である可能性は極めて低いと言わざるを得ないのである。
 次にまとめる文章では、その父から聞いた話を軸に、僕と僕の一族、そして山口県の人間に起こった事例を列挙し、リスト化していく。何故、僕がそんなリストを作成するのかというと、この状況について何か捜査を専門とする機関なりに調査して貰いたいからだ。あまりにも不可解だし、悲惨な事例が多すぎて、これを黙ったまま死んでしまうのは嫌だと僕は思うからである。
 また、リストに関しては以後、随時更新していく形にするとする。というのも、僕の周囲で起きていたおかしな事例が、発見されていくというケースがあまりにも多すぎるからである。これからまだまだ増える可能性があるので、調査を依頼した機関の方々は随時確認して、どうか厳密に調べて頂きたい所である。
 ちなみにこの文章とリストに関しては様々な機関に調査を依頼することになる。もし、調査を開始しただとか、調査した結果を報告したい、という事があればharada5011@gmail.comという僕のメールアドレスまでメールをして頂ければと思う。その際にどうかお願いしたいのが、父と母にはとりあえず何も知らせないで頂きたいということである。この文章もそうなのだけど、〝音が聞こえる〟云々の下りに関しては普通の人間であれば頭がおかしくなった、と思ってしまうのが普通であるからだ。父と母は死を前にした重病人と言ってもいいので、あまり心配をかけたくはない。連絡は僕の方にして頂ければと思う。